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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)9579号 判決

東京都荒川区西日暮里二丁目二五番八号

原告

今井成

右訴訟代理人

平野静雄

田中栄治郎

右訴訟復代理人

布施順子

被告

東京都荒川区

右代表者区長

国井郡弥

右指定代理人

浅野秀忠

〈外三名〉

主文

一  被告は原告に対し、金一〇万円および昭和四三年二月一四日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金六五万三〇〇〇円および昭和四三年一月一六日から支払ずみに至るまで、年五分の割合による金員の支払をし、かつ荒川区報に別紙記載の要領により二回謝罪文を掲載公告をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求は棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は肩書地に居住し、同地において日成企業株式会社名下に手広く料理販売業等を営み、若手ながら有為の実業家として区内の衆望を得ているものである。

2  被告の戸籍課職員は、昭和四三年一月一六日受付により、原告が訴外今井祐子(以下訴外祐子という)を原告の長女として出生の届出をした旨、戸籍筆頭者原告の戸籍に記載した。

3  しかし、原告には、夫婦間はもちろん、婚姻外においても子供がなく、したがつて、子供の出生届出をしたことはないのであつて、原告の戸籍への訴外祐子の入籍記載は、つぎのとおり被告の戸籍職員の過失によりなされたものである。

(一) 原告と同姓同名ではあるが別人の訴外今井成(以下届出人という)は、同人の次女訴外祐子の出生届をなすに際して、本籍を東京都荒川区東日暮里二丁目一二八番地、訴外祐子の母の名を今井喜代子、訴外祐子を届出人の次女と記載して届出した。

(二) 被告戸籍課担当職員は、右番地を本籍とする届出人の戸籍簿を発見できなかつたため、今井成名義の見出帳(戸籍筆頭者の氏の「いろは」順にしたがい整理してある帳簿)により調査し、本籍が同区西日暮里二丁目二二番地で同姓同名の原告の戸籍を抽出し、届出人と原告とを同一人と認定したうえ、訴外祐子を原告の長女として入籍記載した。

(三) しかしながら、戸籍課担当職員は、原告と届出人とでは本籍の所番地のほか妻の名前が異なつているし、さらに、原告の戸籍では子供の記載がなかつたから長女として記載するほかないはずなのに、届出人は訴外祐子を次女として届出ているなど、多くの不審の点があるのに、届出人または原告にそれらのことを照会調査しなかつた過失により、前記誤つた戸籍記載手続をなしたものである。

4  そのため、右戸籍の記載が第三者の知るところとなり、それからそれへと口伝えされ、誤記載にもとづく戸籍であることを知らない第三者には、原告が婚姻外の子をもうけ、家人、妻に無断で自己の戸籍に入籍して平然としている破廉恥漢とうつり、そのような風聞が近隣に広がつた。すなわち、

(一) 原告は、身内関係者や近隣、取引関係者と円満な関係を保つて来たが、昭和四三年春頃、原告の叔母である訴外田村富子が、町内婦人会で、訴外日暮はな、同奥村清子から「お宅の成さんは大したものだ」と、原告がその戸籍に隠し子を入籍していることを揶揄され、それが右訴外田村富子より原告の父や妻に伝えられ、同人らはその処理に思い悩み、妻の実家では離婚話が討議されるまでになつた。このため、原告は、その頃から、近親者に他に女性がいるのではないかなどと言われるようになり、周囲の者から次第に冷淡にされ、疎外感さえ感じるようになつた。

(二) この噂を確めようと、原告の父が原告の戸籍を取寄せ、前記誤記載の戸籍を原告に示して詰問したことにより、初めて原告も、周囲の者が原告にとつた態度の根拠および原告の戸籍の記載の誤りを知つた。

(三) 原告は若手の企業家として敏腕を振つているため、右噂の存在を気安く原告に告げる人もなく、原告へのその真偽の問合せを遠慮していたものであり、そのため、右誤記載にもとづく噂を原告が知るところとなつた頃には、既に相当多数の者が噂を知つていたものである。

5(一)  原告は、前記認定のとおり、いわれなく周囲の者から疎遠にされ長期間気を揉んだのであり、また、世間では、原告が婚姻外の子供を誕生させながら、妻ら家人に無断で自己の戸籍に子として届出をし平然としていると非難嘲笑していることを知り驚愕もしたし、さらに、戸籍上の右記載が誤りであることが判明した後も、原告の妻をはじめ近親者との人間関係が長期間回復せず禍を残すこととなつた。右精神的苦痛に対する慰藉料は金五〇万円を以つて相当とする。

(二)  前記善後処置のため、原告の妻の父、妹の上京、妻の帰郷、親族会議などに別紙記載のとおりの費用を原告が出捐し、同額の損害を蒙つた。

(三)  前記4記載の事情より考えると、このまま事態を放置することは、既に誤解している人達の口から口へと話が伝わり、益々誤解者の範囲を広めて行くことになり、原告が訂正された戸籍を持つて弁解して回ることは不可能であり、被告名義の請求の趣旨記載の公告の方法により、信用を回復するより他に方法がない。

6  よつて、原告は、被告に対し、金六五万三〇〇〇円およびこれに対する本件誤記載がなされた日である昭和四三年一月一六日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払および請求の趣旨記載の要領による謝罪公告を求める。

二  請求の原因に対する認否

1項につき、原告が肩書地に居住する事実は認めるが、その余は不知。

2項につき、原告の戸籍に、訴外祐子が長女として入籍記載された事実は認める。

3項につき、冒頭の事実中、被告の戸籍課職員に過失がある点は否認し、その余は不知。(一)(二)の事実は認める。届出人作成の出生届の本籍記載に誤りがあり、そのため誤記載が生じたもので、被告戸籍課職員に過失はない。

4項につき否認する。原告が、本件戸籍の誤記載を知つた結果、単なる主観的感情に基づき、噂が存在していると憶測しているにすぎない。

仮に噂があつたとしても、本件戸籍と噂の発生の間には因果関係はない。すなわち、本件誤記載日(昭和四三年二月一四日)から原告の父訴外今井栄五郎に対し前記謄本を交付した日(昭和四三年一〇月一八日)までの間に、原告の戸籍謄、抄本を何人に対しても交付した事実はないし、原告の戸籍を閲覧した者もない。また荒川区役所の職員も戸籍簿を自由に閲覧できず、したがつて職員が外部に公表した事実もない。わずかに原告の戸籍を含む戸籍簿の綴込み簿冊を昭和四三年八月九日、訴外桜井義夫が閲覧したが同訴外人は、訴外島田蓮咲の戸籍を閲覧したのみで、右島田以外の戸籍を閲覧していない。

5項につき、(一)は否認する。戸籍の誤記載が判明した後も、原告と妻ら近親者との関係が回復しえなかつたということは、通常の夫婦、親族間ではありえないことである。

(二)は否認する。原告の妻らが、仮に噂の存在を知つたとしても、原告に相談もせず、これを真実と軽信し、数度にわたり帰郷するなどということは通常ありえず、したがつて通常生ずべき損害とは言えない。

(三)は否認する。仮に噂が存したとしても、その性質上原告を知る一部特定の者の間に流布するに止まるものであり、荒川区民の圧倒的多数は、噂の存在自体を知らず、原告の名誉回復に無関係である。

三  抗弁

(一)  原告の損害は補填されている。被告の職員は原告に対し謝罪し、原告の利益を考え、戸籍も訂正されている。

(二)  謝罪公告は、前記の事情からすると、被告に必要以上の負担と苦痛とを強いるものであり、著しく均衡を失し、公平の原則に反する。

四  抗弁に対する認否

(一)の事実は認めるが、損害は補填されていない。

(二)は否認する。戸籍訂正は「出生による入籍の記載は過誤につき……消除」とあり、誰の過誤によるかが不明であり、この限度の訂正では原告の信用を回復できない。

第三  証拠〈略〉

理由

第一被告の戸籍課職員の過失について

1  被告の戸籍課職員が、戸籍筆頭者原告の戸籍に、原告から訴外祐子が原告の長女として出生した旨の出生届があつた旨記載したことは、当事者間に争いない。

2  〈証拠〉を総合すれば、届出人から、昭和四三年一月一六日、同人とその妻との間に同月九日出生した訴外祐子の出生届が、出生地を管轄する東京都千代田区長に提出されたが、右出生届には、本籍を東京都荒川区東日暮二丁目一二八番地と記載されていたこと、同区長は、右出生届を受理したのち、届出人の右本籍地を管轄する東京都荒川区長に対し、右出生届を送付したこと、被告の戸籍課職員は、同年二月一四日、右出生届記載の本籍に基づき戸籍簿を調査したが、その本籍には届出人が存在していなかつたので、見出帳(戸籍筆頭者の氏の「いろは」順に、氏名、本籍、戸籍編製年月日等を記載した帳簿)により届出人の本籍を調査したところ、同区西日暮里二丁目二二番地に今井成という戸籍があることを発見したので、そこに訴外祐子の出生事項を記入したが、右戸籍は、届出人とは同姓同名ではあるが全く別人の原告戸籍であつたこと、被告の戸籍課担当職員は、同年一〇月三〇日、調査の結果、届出人の本籍は同都同区東日暮里四丁目一二八番地であることを確認したこと、がそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、〈証拠〉によれば、出生届の書面には、生まれた子とその父母の記載欄があり、さらに、生まれた子については、父母との続き欄が、父母については、氏名・住所・生年月日・本籍がそれぞれ設けられていることが認められるのであつて、それによれば、少くとも届出人と原告とでは、本籍・妻(出生届上は母)の名、それらの者の生年月日の記載が異なつていたはずであり、また、前記甲第一号証によると、原告の戸籍には子供が全く入籍されていなかつたことが明らかであるから、もし子供の出生届があれば、父母との続き柄は長女になるはずのところ、届出人からの出生届には、訴外祐子の続き柄を次女と記載されていたことは、当事者間に争いないのである。そうだとすれば、このような場合、被告の戸籍課担当職員としては届出人と原告とが同一人物でないのではないかとの疑問をもつのが普通であるというべきであり、したがつて、届出人と戸籍上の人物とが同一であるか否かについて調査確認してから戸籍に入籍する手続をとるべきであつたはずで、この点の確認を怠り漫然届出人と原告とが同一人物と認定し原告の戸籍に前記記載をしたのは、右戸籍課職員に過失があつたものと認定せざるを得ないのであつて、右認定を覆すに足りる証拠はなく、届出人が、自己の本籍の所在地を誤つて届出たことは、右認定を左右するものではない。

第二噂の存在および戸籍との因果関係

1  ところで、原告は、被告の戸籍課職員による原告戸籍への前記誤記記載が原因で、原告が婚姻外の子供をもうけながら妻はじめ家人に無断で自己の戸籍に入れている、というあらぬ噂が世間に広まつたとして、慰藉料などを請求しているのであるが、右噂の存在につき、原告申請の証人らの証言および原告本人尋問の結果中には、それに沿う部分もない訳ではない。だが、右証拠を含む本件全証拠によつても、未だ右噂の存在を認めるには足りないというほかない。すなわち、まず証人田村富子は、昭和四三年二、三月頃、近くに住む女性から「原告に妻以外の女性があり子供まであると聞いたが本当か」という趣旨のことを聞かれた旨証言しているが、他方、右の話をした者の氏名につき、以前法廷外で原告代理人に対し、訴外奥村清子らから婦人会で右の話が出た旨告げたことがあつたところ、それは虚偽であつたと証言しているのみならず、原告代理人のたび重なる尋問にもかかわらず、ついに、同証人に対し前記の話をしたという者の氏名を明らかにしなかつたし、さらに、同証人に対し話しかけたという者に対し、そのように重要な噂の出所、根拠などを全く確めることもしなかつたというのであつて、右証人の証言中噂に関する部分はにわかに信用することができない。証人大木芳明については、同人は信用金庫の職員で、原告とは昭和四四年八月項から面識があり、同信用金庫にとつて、原告は上位から三番目ほどにランクされるお得意であるというところ、同証人は、原告代理人からの「原告に、妻のほか女性がいて、別宅があり子供ももうけているという噂を聞いたことがあるか」という趣旨の質問に対し、四・五回聞いたことがあると証言しているが、他方、それを聞いた時期は、昭和四六年か四七年頃というのであつて、それは前記戸籍の誤記載が判明した昭和四三年から三・四年も経過した後ということになるし、しかもそのように近い時期に聞いたとしているのに、その噂の出所については、おそらく菓子卸協同組合の中の店舗ではないかと思う、と述べるなど、全体としてきわめて曖昧であつて、右証人の証言もこの点に関しては直ちに全面的に採用することができない。証人奥村清子の証言は、全体的に不明確であつて、この証言から前記噂の存在を肯定することは未だ困難であるというほかはない。証人今井明子は、原告の妻であるが、昭和四三年の前後頃、同人が家業の菓子卸の仕事をほこりだらけになつて働いていると、近所の人または知人にしばしば、「きれいにおしやれしないと危いぞ」、とか、原告と同証人間に子供がないところ、「そんなことをしているとどこかに子供をつくられる」などといわれたこと、その頃ノイローゼ気味になつたことを証言するが、女性がほこりだらけになつて働いているときに、親しい知人が右のような冗談を気軽に言うことは、世間ではあながち無いことではないというべきであり、同証人が仮にノイローゼ気味になつたとしてもそれが前記噂の存在によるものか否か未だ明らかではないというほかないし、しかも同証人は、前記噂を直接聞いたことはないと証言しているのであつて、以上によれば、同証人の証言からそのような噂の存在を認めることはできないというべきである。原告本人は、叔母である訴外田村富子から、昭和四三年二・三月頃、二回前記噂の存在を聞いた旨供述するが、そのような噂の出所、根拠につき、当時右訴外田村富子にたずねたところ、同人は婦人会で聞いたとだけ言つてその氏名までは明らかにしなかつたというのであるが、右のような噂は、原告にとつては看過できないほど重大な事柄に関するものであるはずであり、しかも、証人田村富子の証言および原告本人尋問の結果によれば、右訴外田村富子は、当時原告方の家業を手伝い殆ど同居に近い状態であり、しかも、原告の幼少より面倒をみてきて、原告から姉と呼ばれるほど親しい間柄であることがうかがわれるのであるから、原告が真剣に問い質すならば、真実そのようを噂を聞いているときはその出所などを明らかにするのが通常であると思われるのに、それ以上の追及も、したがつてそれに関する調査もしなかつたというのであつて(もつとも、原告本人は、本訴提起後に右訴外田村富子から、前記噂の存在することを語つた者の氏名を聞いた旨供述している)、全体的に不自然な感じを捨て去ることができず、同人の供述からもすぐ前記の噂の存在を認めることは困難であるというほかない。

以上の次第であつて、右各証人の証言、原告本人尋問の結果、さらに本件全証拠を総合しても、なお前記噂が存在していたか否かについては不明確であるというほかない。

2(一)  そして、〈証拠〉によれば次の事実が認められる。

被告の戸籍課においては、東京都荒川区西日暮里二丁目一九番地から西日暮里二丁目一四二番地までの戸籍帳簿が一冊になつているが、被告において、右原告との前記誤記載のなされた昭和四三年二月一四日から、右訴外祐子の実母である訴外今井喜代子から申出を受け、右誤記載の事実を知つた同年一一月三〇日までの右帳簿についての閲覧者および原告戸籍の謄抄本の請求者を調べるため次のような調査をした。すなわち、右期間中、同区に提出された全戸籍の閲覧申請書、謄抄本交付申請書は、日に約一五〇件におよび、それを右全期間について合算すると、四〇センチ四方のボール箱に六箱位になつたが、同区の戸籍課の職員二四名をあてて三人一組にし、各組において申請書一枚毎に三名が順次目を通し、そのうち、二人目、三人目の者が目を通したとき、それぞれ手数料の領収書の裏面に確認の印を押すことにして調査した。その結果、右戸籍帳簿に関連した申請書は、昭和四三年八月九日、桜井義夫と称する者が二丁目一一八番地の戸籍筆頭者訴外島田蓮咲の戸籍を就職調査の目的で閲覧しているのが一件、昭和四三年一〇月一八日、原告の父が、原告の戸籍謄本の交付を申請しているのが一件、の計二件のみであつた。荒川区役所においては、戸籍簿は、戸籍課の職員以外の職員が自由に閲覧できないようになつており、右期間において被告の職員が、前記戸籍帳簿を閲覧した事実も認めることはできない。

(二)  〈証拠〉によれば、昭和四五年秋頃、女性セブンという週刊雑誌が刊行され、その中に原告戸籍の前記誤記載に関する記事と原告とその妻が実名で、かつ写真入りで掲載されている事実が認められる。

(三)  してみると、前記1で述べたとおり、原告の主張する噂の存在は、未だ認めることができないのであるが、仮にその存在を肯定できるとしても、それが右誤記載による原告の戸籍に直接基因するものであるとはとうてい考えられないと言わざるを得ない。

第三損害

原告の請求のうち、荒川区報への謝罪文の掲載公告は、近隣に広がつた噂を除去し、失われた信用回復の必要上求めたものであり、善後処置のために要した諸費用についても、右噂の内容たる、原告の行跡を推測した上、これに対する善後策相談のために要した諸費用を請求するというものであるが、前記のとおり、右噂の存在それ自体が、未だ証明されていないのであり、それが存在すると仮定してもそれと被告職員の過失による戸籍の誤記載との間に因果関係があるとは考えられないのであるから、右の存在を前提としたこれらの請求は、その余の点について判断するまでもなく失当と言わなければならない。

ところで、原告は、本訴において直接は戸籍の誤記載により事実に反する噂が発生したとして、その噂による精神的苦痛に対する慰藉料を請求するものであるが、原告の意思は究極的には被告側の過失による戸籍の誤記載に基づいて発生した損害の賠償を求めているものと解せられる。しかして被告職員の過失に基づき、戸籍に誤記載がなされた事実は前記認定のとおりであり、右のような過失に基づく誤記載は、戸籍が社会生活において果たす重要な役割をも考慮するとき、知らぬ間に、他人の子を自己の子として人籍された原告に精神的苦痛を与えたであろうことは十分に察せられ、これは被告職員が原告に謝罪しただけで消えるものではない。そして、前記乙第一号証によれば、現在原告戸籍の誤記載部分は「出生による入籍の記載は過誤につき昭和四四年六月二三日付許可を得て同月二四日消除」と付記されたうえ、二本の斜線で消されている事実が認められる(戸籍が訂正されていることは当事者間に争いがない)。これは、たしかに誤記載を抹消したことになるが、誤記載の事実自体はなお、残るので、ある意味では戸籍のいわゆる「汚れ」と言えないこともあるまい。

しかしながら一方、戸籍事務管掌者が、甲戸籍に入籍すべき子を、誤つて他人の乙戸籍に入籍させ訂正したようなときにつき、戸籍実務において、昭和四六年一二月二一日付法務省民事局長通達(民事甲第三五八九号)により、関係人の書面または口頭の申出により、戸籍の再製が許される取扱いになつており、右通達の存在ならびに戸籍実務における取扱いは、当裁判所に顕著な事実であるが、これによれば、「法務大臣の命により再製」の旨断り書がなされる以外、本来の戸籍が回復され、誤記載は全く形跡をとどめなくなるのである。(そして、原告本人尋問の結果によれば、被告は原告に対し、右再製手続についての説明をしている事実も窺われる)。したがつて、将来、原告の申出さえあれば、正当な手続により、本来の戸籍の回復は可能と考えられ、原告の危惧する、いわゆる汚れた戸籍を存置する事態は、その限りにおいて、回避することもできよう。以上を総合して、右戸籍の誤記載により原告の蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料は金一〇万円をもつて相当と認める。

第四結論

以上の事実によれば、原告の本訴請求は、慰藉料のうち金一〇万円と誤記入による不法行為の日であることが明らかな昭和四三年二月一四日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(倉田卓次 渋川満 渡辺安一)

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